
Bフレッツ お申し込み窓口
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昨年の秋のある日、友人のシャーロック・ホームズ君を訪ねると、彼は非常に太った赤ら顔の年配の
紳士、燃えるような赤い髪の紳士と話しこんでいた。私が邪魔を詫びて退出しかけると、ホームズはいき
なり私を部屋へ引き入れ、私の後ろにドアを閉めたのである。
「まったくいい時に来てくれたよ、ワトソン君」と彼は気持ちよく言った。
「仕事中かと思って。」
「そうだよ。まさにその通りだ。」
「それなら私は隣室で待っててもいいんだ。」
「とんでもない。この紳士はね、ウィルソンさん、僕が大成功を収めた事件の多くで仲間であり、助手
を務めてくれてまして、きっとあなたの事件でも非常に僕の助けになると思います。」
太った紳士は椅子から半ば腰を上げ、ひょいとお辞儀をし、脂肪の奥の小さな目から少し不審そうにすば
やく視線を走らせた。
「長椅子でどうだい」とホームズは言い、判事のような気分の時の習慣として、自分の肘掛け椅子に戻り、指
先を組み合わせた。「わかってるよワトソン君、君も僕同様、奇怪なこと、慣習や日常生活の単調な繰り返しを
外れたことが好きなのは。僕のちょっとした冒険を記録しようなんて、それからそう言ってかまわなけれ
ば、いささか尾ひれまでつけようなんて思い立つ君の熱心さを見れば、君のそういう趣味がわかるよ。」
「君の事件には実際、非常な興味を持ち続けてきたよ」と私は言った。
「君は覚えているかな、いつだか僕が言ったろう、ちょうどミス・メアリー・サザーランドが出したきわ
めて簡単な問題を調査する前に、不思議な現象、異常な事態の組み合わせは人生そのものに求めるべきで
ある、それは常に、どんなに想像をたくましくするよりもはるかに大胆なものなのだ、と。」
「失礼だが僕が疑問を呈した主張だね。」
「そうだったね、博士、でもね、そうは言っても必ず君も僕と同じ意見に変わるさ、そうでなけれ
ば僕は君の前で事実の上に事実を積み重ね続けるからね、君の理屈がそれらに押しつぶされ、僕が正しい
と認めるまで。さて、こちらのジェイベズ・ウィルソンさんがご親切にも今朝僕を訪ねてきて話を始め
られたんだが、それは僕が長いこと聞いてきた中でも飛び切り奇妙なものの一つになりそうなんだ。君も
知っている僕の意見だが、最も不思議な、最も独特な事柄というものは多くの場合、大きな犯罪よりも小
さな犯罪に関係していて、実際、往々にしてそこでは何か明確な犯罪が行われたのかどうか疑問の余地が
あることもある。僕の聞いた限りでは今回の事件が犯罪にあたるかどうか僕には言えないが、事の成
り行きは間違いなく、僕がこれまでに聞いたものとしては最も奇妙な部類に属するね。できましたらウィルソンさん、大変
すみませんがお話をもう一度初めからお願いできませんか。単に友人のワトソン博士が初めの部分を聞
いていないからというだけでなく、異常な性質の話ですので、ぜひともあなたの口からできる限り詳しく
聞きたいと思いますので。通例僕はわずかでも事の成り行きを示す話を聞いてしまえば、記憶
に浮かぶ何千もの類似の事件に導かれて進むことができます。今回の場合、さまざまな事実は、僕の信ず
る限り、他に類を見ないものと認めざるをえません。」
恰幅のいい依頼人は少し誇らしそうに胸を張り、汚れてしわくちゃになった新聞をオーバーの内ポケッ
トから引っ張り出した。彼が頭を前に突き出し、ひざの上で紙面を平らにし、広告欄に目を走らせた時、
私はその人をじっくり観察し、友のやり方にならって、その洋服や外観が示すものを読み取ろうと努力し
た。
しかし私がその観察から得たものはあまり多くなかった。私たちの客は太りすぎでもったいぶってのん
びりしていて、平凡な平均的イギリス商人のあらゆる特色を身につけていた。彼はかなりだぶだぶの灰色
のチェック柄のズボン、あまりきれいともいえない黒いフロックコートを身につけ、前のボタンをはずし、
茶色のベストには重い真ちゅうのアルバートの鎖、四角い穴の開いた小さな金属が装飾としてぶら下がっていた。
すりきれたシルクハット、ビロードの襟にしわのよったあせた茶色のオーバーはそばの椅子の上に置かれ
ていた。要するに、私が見ても、燃えるように赤い頭と、その顔に表れた極度の無念、不満の表情
を除くと、注目すべきところは何もない人だった。
シャーロック・ホームズの鋭い目が私のしていたことを見て取り、私の探求する視線に気づいた彼は微
笑みながら首を振った。「この方が手仕事の経験があり、嗅ぎ煙草を吸い、フリーメーソンの会員
であり、中国へおいでになったことがあり、最近相当量の書き物をなさったという明白な事実のほかには
僕には何も引き出せないな。」
ジェイベズ・ウィルソン氏はびっくりして椅子から飛び上がり、人差し指を新聞においたまま、目を友
に向けた。
「いったいぜんたいどうしてそんなことがみんなわかったんですか、ホームズさん?」と彼は尋ねた。
「どうして、いやたとえば私が手仕事をしたことがわかりました?まったく本当のこってす、私は船大工
から始めたんですから。」
「あなたの手ですよ、ねえ。右手がたっぷり一回り左手より大きい。そちらで仕事をしたので筋肉がよ
り発達しているんです。」
「それじゃあ嗅ぎ煙草は、それにフリーメーソンは?」
「どうしてわかったかはお話しするまでもない他愛ないことです、特に、あなたが結社の厳しい規則に
大いに反して弧とコンパスの飾りピンを使用されてるのですから。」
「ああ、そうか、忘れてました。しかし書き物のことは?」
「五インチばかりすっかりテカテカになった右の袖口、机にのせるひじの近くにすべすべのつぎのあた
った左、それらの示すものがほかに何かありますか?」
「なるほど、だが中国は?」
「あなたの右手首の真上にある魚の刺青は中国でしかできないものです。僕は刺青の模様についてつま
らん研究をしたことがありましてね、その主題の文献に寄稿したことさえあるんです。その魚の鱗を微妙
なピンクに色づける見事な方法はまったく中国独特のものです。加えて、中国のコインが時計の鎖からぶ
らさがっているのを見れば、いっそう簡単なことです。」
ジェイベズ・ウィルソン氏は大いに笑った。「いや驚いた!」と彼は言った。「初めは気の利いたこと
をするもんだと思ったが、なあに、結局何のことはなかった。」
「僕はねえ、ワトソン、」ホームズは言った、「説明するのは間違いだという気がしてきたよ。『およ
そ未知なるものはすばらしい』だからねえ、こう率直にやっては僕のささやかな評判も、まあこの程度
のものだけどね、沈没の憂き目を見ることになるね。広告は見つかりませんか、ウィルソンさん?」
「いや、ちょうど見つけました」と彼は太くて赤い指を広告欄の真ん中に立てて答えた。「ここです。
これがすべての始まりです。ちょっとご自分で読んでみてくださいな。」
私は彼から新聞を受け取り、以下のものを読んだ。
赤毛連盟へ
米国ペンシルバニア州レバノン、故エゼキヤ・ホプキンズの遺贈による連盟に現在欠員あり。メンバー
には純粋に名目上の貢献に対して週四ポンドの俸給の権利を与える。赤髪の心身健康な二十一歳以上の男
子すべてに資格あり。申し込みは本人が月曜十一時、フリート街、ポープス・コート七番地、連盟事務所
のダンカン・ロスまで。
「いったいこれはどういう意味だ?」私はこのとっぴな告知に二度、目を通した後思わず叫んだ。
ホームズは機嫌のよい時の癖で、くすくす笑い、椅子の上で身をよじった。「これはちょっと変わって
るじゃないか、え?」と彼は言った。「さてウィルソンさん、先へ進んでご自身、ご家族、この広告があ
なたの運勢に与えた影響についてお話しください。君は、博士、まずその新聞と日付を書き留めてく
れたまえ。」
「1890年4月27日のモーニング・クロニクル。ちょうど二ヶ月前だ。」
「結構。さ、ウィルソンさん。」
「ええと、あなたにお話しした通りなんですが、シャーロック・ホームズさん」とジェイベズ・ウィル
ソンは額の汗を拭きながら言った。「私はシティーの近くのコバーグスクエアで小さな質屋の店をやって
ます。あまり大きな商売じゃなく、近頃ではちょうど私が暮らす分しか出ません。前には二人店員を雇っ
ておけたんですがね、今じゃ一人がやっとです。その払いをするのも大変なところなんですが、その男は
商売を覚えるためにと半分の給料で喜んで来てるんです。」
「そのありがたい若者の名は?」とシャーロック・ホームズは尋ねた。
「名前はヴィンセント・スポールディングですが、と言っても、そんなに若くはないんです。歳はわかり
ません。あれより気の利いた店員は望めませんよ、ホームズさん。それにあれがもっといい仕事にありつ
けるし、私のやれるものの二倍は稼げるってことも、私ゃよくわかってるんですがね。でもなにしろあれが満足
なら、どうしてこっちで知恵をつけてやらなきゃならんのです?」
「そうですとも。相場の上限を取らずにこようという従業員を持ってあなたはとても幸運のようですね。
この時代、雇い主がやたらに経験できることではないですよ。お宅の店員もその広告並みに珍しいんじゃ
ないですか。」
「ああ、あの男にも欠点があるんです」とウィルソン氏は言った。「写真となるとあんな奴はいません
や。いろいろ覚えなきゃならん時にカメラを持って絶えずパチパチやっては巣穴にもぐるウサギのよう
に地下にもぐりこんで撮った写真を現像してるんです。それがあの男の欠点ですが、だいたいにおいて働
き者です。悪いこともしませんし。」
「まだお宅にいるんでしょうね?」
「ええ。あの男と、それから簡単な料理を少しと家の掃除をする十四の娘、家にはそれだけです。なに
しろ私はやもめですし子供もできなかったんでね。とても静かに暮らしてます、私たち三人は。住処を確
保して支払いを済ます、ほかに何もないにしてもね。
面倒なことの起こりはその広告です。スポールディングですよ、あれがちょうど八週間前、店に下りて
きて、ほら、その新聞を手に持って、言うじゃありませんか、
『いやあ、ウィルソンさん、俺の髪が赤かったらなあ。』
『なぜそんなことを?』と私ゃ尋ねる。
『なに、』奴は言う、『ここでも赤い髪の男の連盟に一つ空きがあるんです。これを手に入れりゃあ誰
でも相当の金になるし、人間より欠員のが多いとかで、管財人は金をどうしたものか困り果てているそう
ですよ。俺の髪の毛の色が変わりさえすりゃあなあ、ちょっとしたうまい仕事がすっかり俺が行くのを待って
るんだがなあ。』
『何だって、そりゃ何のことだ?』と私は尋ねました。だってねえホームズさん、私はすごく出不精で
ね、それに仕事のほうがやってきてこっちは出かけなくてもすむんで、私は何週間もドアマットの向
こうへ足を踏み出さないことがよくあります。そんなわけで外で何が起こっているかあまり知らないし、
いつもニュースを楽しみにしてるんです。
『赤い髪の男の連盟のことを聞いたことがないんですか?』とあれは目を見開いて訊きました。
『全然。』
『へえ、そりゃ驚いた、自分が欠員を一つ埋める資格があるのに。』
『それでそれにはどんな値打ちがあるんだい?』と私は尋ねました。
『ああ、ほんの年二百ですがね、でも仕事はわずかだし、必ずしもほかの仕事の大した支障にならない
んです。』
ねえ、容易におわかりでしょうが、その話に私は耳をそばだてました。商売は何年もあまりうまくいっ
てないし、余分な二百があればずいぶん役に立ちますから。
『すっかり聞かしてくれよ』と私は言いました。
『なにね、』彼はその広告を示しながら言いました、『自分で見てくださいよ、連盟に欠員とあるでし
ょ、それに詳しいことの問い合わせ先も。俺の知ってる限りじゃあ、連盟はアメリカ人のエゼキヤ・
ホプキンズという百万長者が創ったとかで、なかなか変わった人だったそうです。本人が赤毛で赤毛の男
すべてにいたく思いを馳せていたんですね。それで死んだ時、莫大な財産を管財人に託して、利息は赤い
髪をした男に楽な仕事を提供することに当てるよう、指示を残したんです。すばらしい給料で、やることは
ほんの少しって話しですよ。』
『でもなあ、』私は言いました、『たっくさんの赤毛の男が応募するだろうなあ。』
『ご主人が考えるほどたくさんじゃないですよ』と彼は答えました。『だってねえ実際ロンドン市民で成
人男子に限られるんですから。このアメリカ人は若い頃ロンドンから世に出て、懐かしい街に善行を施し
たいんです。それにまた、髪の毛が明るい赤や暗い赤、本当に鮮やかな燃えるような炎の赤以外の赤だっ
たら申し込んでも無駄ですってよ。さあ、申し込みたかったらウィルソンさん、ちょっと行ってみるこっ
てす。でもたぶんあれだな、数百ポンドのためにわざわざやるほどのことはないですね。』
さて、事実、見ればおわかりでしょうが、ねえ、私の髪はこれ以上はない鮮やかな色合いですから、こ
れに関しちゃあ今まで負けたことがないし、どんな相手がいるにしても勝算は十分と思われました。ヴィ
ンセント・スポールディングはこの話をよく知っているようなので役に立つこともあるかもしれん、と
私は思い、そのままその日はシャッターを下ろし、すぐに一緒について出てくるように彼に命じました。
あれも休日になるのは大喜びですから、私たちは店を閉め、広告にある住所へと出かけました。
あんな光景は二度と見たいと思いませんね、ホームズさん。北から、南から、東から、西から少しでも
髪の赤い男という男が広告に応じてどやどやとシティーに踏み入ってきてるんです。フリート街は赤毛の
人間でふさがるし、ポープス・コートは行商のオレンジの荷車のようでした。私はね、あの広告たった一
つで国中から来たってあんなにたくさん集まるとは思いませんでしたよ。わら、レモン、オレンジ、レン
ガ、アイリッシュセッター、レバー、粘土--濃淡さまざまな色合いでした。しかしですね、スポールデ
ィングの言ったように、本当に鮮明な炎の色合いというのはあまり多くはありませんでした。どれだけ人
が待っているかを見た私はあきらめてやめるところでしたが、スポールディングが聞き入れませんでした。
あいつがどうやってやったのか想像もつきませんが、押したり引いたりぶつかったりして、ついにあいつ
は私を群集から抜け出させ、その事務所に通じる階段のまん前まで連れていきました。階段には希望を持
って上がるもの、落胆して下りるもの、二つの流れがありました。しかし私たちは何とかうまく割り込ん
で、まもなく事務所に入っていました。」
「あなたのなさった経験はとても愉快ですね」と、依頼人が一息つき、嗅ぎ煙草をたっぷりつま
んで記憶を新たにするところで、ホームズが言った。「どうかその非常におもしろいお話を続けてくださ
い。」
「事務所には椅子が二つとモミのテーブルのほか何もなく、テーブルの後ろに私よりもさらに赤い髪を
した小柄な男が座っていました。彼は近づいてくる志願者に簡単な言葉をかけ、それから必ず彼らを不適
格とする欠点を何か見つけ出してしまうのです。やはり空席を勝ち取るのはそれほどたやすいことではな
さそうでした。それがですね、私たちの番になるとその小さな男が私に対してほかの誰よりも断然好意的
になりまして、私たちが入るとドアを閉めて、私たちと内密の話をしようというわけなのです。
『こちらはジェイベズ・ウィルソンさんで、』と私の連れが言いました、『連盟の欠員を埋めたいと思
っているんです。』
『しかも立派に適格ですね』とあちらは答えました。『すべての条件を満たしてます。これほどすばらし
いのは見た覚えがありません。』男は一歩後にさがり、片方に小首をかしげ、すっかり恥ずかしくなるほ
ど私の髪をじっと見つめるのです。それから突然突進し、私の手を固く握り、心から私の合格を祝ってく
れました。
『躊躇しては不正になりますので』と男は言いました。『しかし、あなたはきっと私が露骨な警戒をするのを許し
てくださるでしょう。』そう言うと男は両手で私の髪をつかみ、私が痛くて叫び声を上げるまでぐいぐい
引っ張ったんです。『目に涙が出てますね』と言って男は私を放しました。『すべて申し分ないとわかり
ました。しかし気をつけませんとね、かつらで二度、ペンキで一度、だまされたことがあるんですよ。靴
屋の蝋のことでは人間の本性に愛想がつきるような話もあるんです。』彼は窓に歩み寄り、そこから声を
限りに欠員は満たされたと叫びました。失望のうめきが下から聞こえ、人々は皆さまざまな方向へぞろぞ
ろと消えていき、私とその支部長を除いて赤い髪は見えなくなりました。
『私は、』その人は言いました、『ダンカン・ロスです。私自身も我々の高潔な恩人の遺した基金の受給者
の一人です。あなたは結婚なさってますか、ウィルソンさん?ご家族はありますか?』
私はないと答えました。
たちまち男の顔が曇りました。
『なんとまあ!』あの人は重々しく言いました、『それは本当に重大なことなんです!そうおっしゃるのを
聞いて残念です。この基金はもちろん、赤い髪を持つ者たちの維持ばかりでなく、その繁栄と広がりのた
めにあるのです。あなたが独身とは実に運が悪い。』
私も浮かない顔になりましたよ、ホームズさん、だって結局私はその空席を手にする運命じゃなかった
と思いましたから。しかししばらく考えてからあの人はそれでかまわないと言いました。
『ほかの場合なら、』あの人は言いました、『この欠点は致命的になりかねませんが、あなたのような
髪を持った方ではひいき目に見て拡大解釈しなければなりますまい。いつから新しい職務に取り掛かれま
すか?』
『ええ、それが困るんですが、既に店もありまして』と私は言いました。
『ああ、そりゃ心配いりませんや、旦那!』とヴィンセント・スポールディングが言いました。『そり
ゃあ旦那の代わりに俺が見られるじゃないですか。』
『時間はどうなってますんで?』
『十時から二時です。』
ところで質屋の商いってのはほとんど晩方でしてね、ホームズさん、特に木曜日と金曜日の晩、ちょう
ど給料日の前なんでね。だから午前中に少し稼ぐってのは私には実に好都合なんです。その上店員は
優秀で、何があっても任せられますんでねえ。
『それは実に好都合です』と私は言いました。『それで給料は?』
『週四ポンドです。』
『それで仕事は?』
『単に名目上のものです。』
『単に名目上とはどんなものを言うんでしょう?』
『そうですね、あなたは事務所の中にいなければなりません、少なくとも建物の中に、その間ずっとで
すよ。もし離れたら、あなたは地位すべてを、永久に失います。遺言書もその点非常にはっきりしていま
す。時間中に事務所から動くということは条件に従わないということです。』
『一日にわずか四時間です、離れるなんて思いもしません。』
『言い訳は通りませんよ』とダンカン・ロス氏は言いました。『病気だろうが用事だろうが何事であろ
うが。そこにいなくてはいけません、さもないとあなたは口を失います。』
『それで仕事は?』
『大英百科事典をそっくり写すことです。第一巻がその棚にあります。インクとペンと吸い取り紙は自
分で手に入れていただきますが、テーブルと椅子はこちらで提供します。明日からでもできますか?』
『承知しました』と私は答えました。
『ではさようなら、ジェイベズ・ウィルソンさん、貴重な地位を獲得された幸運にもう一度お祝いを言
わせてください。』あの人はお辞儀をして私を部屋から送り出し、私は何を言ったら、何をしたらいいの
かわからないまま、連れと一緒に家へ帰りました。それほど自分の幸運が嬉しかったんです。
さて、私はその日一日つくづくそのことを考えて、夕方にはまた意気消沈です。私はね、あの出来事は
全部、何かひどいいたずらかペテンにちがいない、とすっかり確信したんです。もっともその目的が何か
は想像もつきませんでしたが。誰かがそんな遺言をするとか、大英百科事典をそっくり写すなんていう簡単
なことをやらせてそんな金額を払う連中がいるとか、まるっきり信じられないような気がしたんです。ヴ
ィンセント・スポールディングはできるだけ私を励ましてくれましたが、寝る時間までには私は自分に言
い聞かせてそんなことは全部やめにしました。しかし朝になって私はとにかくちょっと見てみようと決心
し、一ペニーのインク瓶、羽ペン、フールスキャップ紙を七枚買って、ポープス・コートへ出かけました。
さて、嬉しい驚きでしたが、すべてはまったく申し分なしでした。テーブルは私を待って並べてあるし、
ダンカン・ロス氏も私がちゃんと仕事を始めるか見にきてました。私にAの文字から始めさせ、それから
出て行きました。が、時々ひょっこりのぞいては私がちゃんとやってるか確かめました。二時にあの人は
私にさよならを言いにきて、私の書き終えた量をほめ、私の後から事務所のドアに鍵をかけました。
これが毎日毎日続きましてね、ホームズさん、土曜日には支部長が来て一週間の仕事に対してソブリン
金貨四枚を支払いました。次の週も同じ、その翌週も同じでした。毎朝私は十時にそこに行って、毎日午
後二時に帰りました。次第にダンカン・ロス氏は朝一度だけ来るようになり、それからしばらくするとも
うまったく来ませんでした。それでももちろん、私は一瞬だって部屋を離れる気になんかなりませんでし
た。あの人がいつ来るかわかりませんし、仕事は実に結構だし、私にぴったりですから、それを失うよう
なことはするもんじゃありません。
こんなふうに八週間が過ぎ、私はAbbots、Archery、Armour、Architecture、Atticaと書き終え、励め
ば近いうちにBのところに進めると思いました。フールスキャップ紙にはそこそこかかってますし、私の
書いたもので棚が一段、ほとんどもういっぱいになっていました。そこで突然、それが全部終わりになり
ました。」
「終わりに?」
「ええ、ええ。今朝までにね。いつものように十時に仕事先に行きましたが、ドアが閉まって鍵がかか
ってまして、小さな四角いボール紙がドアの板の真ん中にびょうで打ち付けてありました。これですが、
読んでみてくださいよ。」
彼は便箋一枚ぐらいの大きさの白い厚紙を掲げた。それにはこんなふうに書かれていた。
赤毛連盟は解散
1890年10月9日
シャーロック・ホームズと私はこのそっけない告知とその後ろの無念そうな顔を見ているうちに、出
来事のこっけいな面が完全にほかの問題すべてを圧倒し、二人そろって大声で笑い出してしまった。
「何がそんなにおかしいんだかわかりませんね」と、依頼人は燃え立つ髪の根元まで赤くなって叫んだ。
「私を笑いものにするほかできないんだったら、よそへ行ってもいいんです。」
「いえ、いえ」とホームズは、立ち上がりかけた客を椅子に押し戻しながら叫んだ。「実際あなたの事
件は何としても逃すつもりはありません。実に目新しい珍事件です。しかしですね、言わせていただくなら、何
かほんのちょっとおかしなところがありますね。どうぞ、ドアにカードを発見してあなたは何をしました
か?」
「私はぼう然としました。何をしていいのかわかりませんでしたよ。それから私は事務所を訪ね回った
んですが、そのことを何か知っているところは一つもないようでした。最後に私は一階に住んで会計士を
やっている家主のところへ行き、赤毛連盟がどうなったのか知っているかと尋ねました。そんなものは一
度も聞いたことがないと言われましてね。そこで私はダンカン・ロスさんってのは何者か訊きました。初
めて聞く名前だという答えでした。
『ほらあの、』私は言いました。『四号室の人。』
『え、赤い髪の人?』
『そうです。』
『ああ、』家主は言いました、『あの人ならウィリアム・モリスって言うんですよ。弁護士で、新しい
家屋が整うまで、便宜上一時的にうちの部屋を使っていたんですよ。』
『どこへ行けば会えますかね?』
『ああ、新しい事務所ですよ。住所を言っていきました。ええ、キング・エドワード街17、セントポー
ル大聖堂の近くです。』
私は出かけましたがね、ホームズさん、その住所に着いてみるとそこは膝当ての工場で、ウィリアム・
モリス氏にしろ、ダンカン・ロス氏にしろ、誰も知りませんでした。」
「それで、それからどうしました?」とホームズが尋ねた。
「サクス-コバーグスクエアの家に帰り、スポールディングの助言を聞きました。しかしちっとも役に
立ちませんでしたよ。待ってりゃ郵便で言ってくるだろうって言うばかりで。でもそれではあまりおもし
ろくないんですよ、ホームズさん。こんな身分を何もせずに失いたくありませんでした、で、あなたがね、
貧乏人でも困っていたら親切に助言してくれるって聞いていたもんで、まっすぐにこちらへ来たってわけ
です。」
「それは非常に賢明でした」とホームズは言った。「これはきわめて珍しい事件ですし、喜んで調査し
ましょう。あなたの話からすると、一見して思うよりも重大な問題がぶら下がってそうな気がします。」
「重大ですとも!」とジェイベズ・ウィルソン氏は言った。「私は週四ポンドを失っちまったんですよ。」
「あなた個人についていえば、」ホームズは言った、「この異常な団体に何ら不満はないものと思いま
すが。それどころかあなたは、僕の理解するところ、三十ポンドほど豊かになったし、それに詳細な知識
を文字Aの項に記述されている事柄すべてにおいて得たことは言うまでもありません。それであなたが失
ったものは何もありません。」
「ええ。ですがね、私は知りたいんですよ、連中のことを、連中が何者で、私にこんないたずらを--
もしいたずらなら--をする連中の目的は何なのかを。だいぶ金のかかる悪ふざけでしたがね、なにしろ
三十二ポンドかかったんですからね。」
「あなたのためにそれらの点を解明するよう努力しましょう。それと、まず一つ、二つ質問を、ウィル
ソンさん。あなたのとこのその店員ですがね、最初にあなたの注意を広告に向けさせた--どのくらいお
宅にいたんですか?」
「あれが約ひと月たった頃です。」
「どうしてお宅へ?」
「広告に応じて。」
「応募したのは一人だけですか?」
「いえ、十人以上でした。」
「なぜ彼を選びました?」
「使いやすいし、安く来るもんで。」
「事実、半分の賃金でね。」
「そうです。」
「どんな男ですか、そのヴィンセント・スポールディングは?」
「小柄で、丈夫な体格で、やることは非常に敏捷で、三十はいってるのに顔にひげはありません。額に
酸がはねて白くなったところがあります。」
ホームズはかなり興奮して椅子の上で座り直した。「そうだろうと思った」と彼は言った。「耳にイヤ
リングのための穴があいているのに気づきませんでしたか?」
「知ってます。子供の頃ジプシーがやってくれたと言ってましたが。」
「フム!」とホームズは言い、深い物思いに沈み込んでしまった。「その男はまだお宅にいますね?」
「ああ、ええ。たった今置いてきたところです。」
「あなたのいない間も商売に精を出していましたか?」
「何の文句もありません。午前中はあまりすることのあったためしがないですし。」
「結構です、ウィルソンさん。ぜひ一日、二日のうちにこの問題について意見を差し上げましょう。今
日は土曜日、月曜日には結論を出したいですね。」